麦茶を作らない不届き者を撲滅する方法

「夫が麦茶を少し残しておいて、ボトルを洗浄したり作ったりしないことにムカつく」
という問題が話題になっていた。
麦茶に限らず、
「何かを使い果たしそうになった時、補充をしたくないのでギリギリで残す」
という行為で配偶者の怒りを買うケースは様々にあるようだ。

ところで、うちの母親は専業であり家政全般を行っていたので、麦茶を作るのが面倒臭い云々という文句は聞いたことがない。
夏場の冷蔵庫には麦茶やジュースやアイスが常にたっぷり用意されていた。
麦茶は家庭用ボトルに入っていたが、母が作っているところを見たことがなかったので、麦茶もオートで自然に湧き出すものだと思っていた。
時々飲み切るタイミングに当たると「さてどうしよう」となったが、「作っておくから置いといていいわよ」だったので、本当に母上様様である。

さて大人になって自活を始めると、何もかもがオートではないことに気付く。
ゴミは捨てなければ溜まっていくし、水場にはカビが生え、洗濯物はいつまでたっても畳まれず、洗剤もいつのまにかなくなり、掃除機にすら埃がたまる。
ちなみに自分より少し遅れて一人暮らしを始めた我がきょうだいは、梅雨時になって面白いことを言い出した。
「バスタブに何か赤っぽい塗料が浮かび出してくるんだけど、何だろう?」
しばし様子を伺ったが、どうやら冗談ではないらしいと判ったので、感動に打ち震えながら教えた。
「それはカビだ」
すると驚きのリプライが来た。
「でも、ここ新築なんだけど?」
「新築でも!」
漫画のような言い回しになってしまった。
「風呂掃除が! 甘ければ! カビは発生する!」

我々はあまりにも母親に頼りすぎ、甘えすぎていた。
しかもろくに感謝もしなかった。
それどころか日々「ねぇ、○○がないよ〜」などと言いまくっていた。
すると「ごめんね」という詫びとともに即時提供される。
たまにちょろっと手伝いをするだけでも「悪いわね」「本当に助かったありがとう」と言われる。
クリーニングに出してもらっていた自分の制服を取りにいってさえ詫びと礼を言われるのだ。
本当に母上様様である。
母は「だって家のことをするのがお母さんの仕事だから」と言っていたが、自分なら普通に勤める倍の給与を要求したくなる。
とんでもない重労働、ではないかもしれないが、複数の猿を相手に面倒臭い対応ばかりしていたら数日で発狂しそうだ。

話が逸れたが、麦茶問題に戻る。
上記のように育った自分は、もちろん麦茶は作らない人間だった。
それほど好んで飲まないというのもあるが、ボトルを洗うという作業が「たいした手間ではない」のは事実ながら、何故かとても面倒くさい。
しかし夏になるとやっぱり少しは飲みたくなる。
そこで自分の場合は広口の500mlのボトルに水出しパックだけをぶっこんで作っている
一度に飲む量は、だいたい500ml以下で済むからだ。
ただ水出しパックはたいてい1リットル以上の想定なので、最初は非常に濃くなる。
そこでパックはぶっこんだままで減った分だけ水を注ぎ足すのだ。
どんどん薄くなるので「もはや麦茶でないものになりそうだ」となったらボトルを洗ってパックを変える。
麦茶パックは傷みやすいのでどのみち1日程度で交換するし、500mlの広口ボトルならコップを洗う手軽さだ。
(結局は深底でパッキン等があると手間が増すので洗いたくないのだと思う)
それに500ml容量だと「次は十分に飲めないかもしれない」という危機感が常につきまとう
自宅にいながら遭難者の心境になれて楽しいし、せせこましいリスクマネジメントをしながら飲む麦茶は本当に貴重で美味しい。
よって麦茶を作らない者には、500mlの広口ボトルを専用に与えることを勧めたい。
お名前シールでも貼ってやると良いだろう。

最後に「麦茶を作らない不届き者を撲滅する」ための根本的な解決法を提示したいと思う。
それは「子供のために麦茶を作らない」ことだ。
「子供の分を作るのは構わない」という声が目立っていたが、それが一番大きな原因だと思う。
自分で飲む麦茶くらいは子供自身に作らせた方がいい。
でないと将来、また麦茶すら作らない、ボトルさえ洗わない、その手間を自分で経験しない限りは感謝の気持ちも持てない、そんな残念な大人を作り出してしまうからだ。
飲料としてなら冷水でも構わないわけで、麦茶は安価ではあるものの、ひと手間かかった「サービス」なのだ。
個人的には母の責任感や愛情に感謝しているが、もしその作業をすることで親が苛立っていたら悲しくなっていただろう。
子供にしても、長じて配偶者から蛇蝎のごとく厭われるよりはずっと幸せに日々を送れるはずだ。