捨てるか否かを最速で判断する方法

モノが増えすぎ、収納があふれて床置き状態になってきたので、けっこう真面目に分別をやっている。
モノを捨てられない理由として、よく「執着」が挙がるが、自分はもとから執着心が強いことを自覚しているので、どれほど無駄でも無意味でも、捨てたくないものについては葛藤しないで残すことにしている。
別に断捨離をしたいわけでも、ミニマリストになりたいわけでもない。
目的は掃除をしやすくする、ために床のモノを収納することだ。
残すものは決定しており、そのスペースは譲れないので、しっかりとやるべきことは「ゴミ探し」である。

ゴミ袋を手に持ち、ゴミ警察となって「おまえ怪しいな。ゴミなんじゃないか?」と絡みながら作業する。
まずはやりやすい小物から攻める。
古い、汚れている、錆びている、使い勝手が悪い、使うと思ったが使わないモノなどを捨てる。
「いつか使うかもしれないので…」などと言い逃れしようとする容疑者は、すぐ実行させる。
24色カラーペンなら絵を描いてみる。
「…それで?」
「まだこんなに描けます!発色もこの通り、きれいですよ!」
「絵なんかいつ描くんだよ?」
(なんで買った)
のこぎりカッターなら切ってみる。
「ほら、何度も必死でゴリゴリすれば切れます!」
「歯が適当すぎんだよ」
「でも、キャンプとかで小枝を切ったりもできて便利ですよ」
「アウトドアやらんから」
(100均の工具はやはり厳しい)
使いかけのノートが哀願する。
「まだ白紙ページが沢山あるんですよ…?」
泣くほどなら、むしっておく。
「気が向いたらメモにでも使ってやる。気が向いたらな」
そうは言ってもだいたいは使わないのだが、気が済まないのだから、その場は受け入れて作業しておく。とにかく僅かでも捨てられたことを喜んだ方がいい。
オラオラと調子が上がってきたらもう少し大きなもの、服や靴や鞄、雑誌や小型家電などもやる。
中型は狩りやすく、獲れ高も良く、満足度が高い。
そしてゴミ警察の目で見ると、「見慣れていたモノ」が、実はかなり宜しからぬ状態であることに気付きやすくなる。
今回面白かったのは「まだ使える」と思っていたタオルのうちの半分が、かなりの消耗度だったことだ。
脳の補正機能と解除機能は凄まじい。
「まだふわふわだと思っていたタオル」
一瞬のうちに「酷使されまくったよれよれタオル」に変化する様は、若い娘がたちまち老婆にしぼんでいく映画のCGのようだった。
これまでの働きにあつく礼を述べ、ダスターになってもらう。
その場ですぐ切っておけば便利だし、枚数の分だけ使うたびに感謝もできる。

さらに、余力があったら大物にかかってもいいが、体力や特別処理が必要なものがあるので、ぼちぼちでも良いだろう。

さて本丸は「すごく迷うモノ」である。
巷には、この対策のための様々なアドバイスで溢れている。
だが、納得したがらないマインドといちいち真正面から格闘するのは時間と気力の無駄でしかない。
「すごく迷うモノ」は丁寧にゴミ袋に詰めて、玄関近くにでも置いて待機させておくのが良い。
ゴミ出しの時間直前になったとき、未練があったら戻せばいいだけだ。
自分がこれをやった時、もちろん捨てる前に戻すつもりだったが、ゴミ出し直前になったら取り出すどころか、関連するモノまで追加して、厳かにかつ爽やかに見送ることになった。
敬礼だ。
よく「迷うものはとりあえずダンボールに入れて目立つところに置き、しばらく様子を見る」といったアドバイスがあるが、視界に入るとストレスや迷いの元になるし、余計に散らかった様相になって達成感がない。
しかし真面目に捨てシミュレーションをやれば作業が早く済む上行動が決断を導いてくれる
(第一、戻す場所が既にふさがっていたりする)

掃除はやらねばならないが、ジリジリ追い詰められた気分でやる必要もないだろう。
例えば捨てられないグループの中のものを1つ2つだけでも捨てると、次はもう少し捨ててもいいかな?という心持ちになれる。
どうせ掃除は一生やるのだから、「今日!絶対に!全捨てだ!」とは考えなくていいだろう。
もし突然に火災や浸水などの危機が迫ったら、だいたいのものは置いて行かざるを得ない。
瞬時の判断が命に関わり、他に選択肢はない、という状態でもないのだから、平和に仲良く過ごせるうちは置いていいじゃないか、という。
まずは慣れるために、助走をつけることだ。